大切な存在とのお話

皆さま久方ぶりです。

2020年12月31日。皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか。

私は勿論、あのライブを見ていました。

 

そのお話です。

どうかお付き合いください。

 

私が嵐を好きになったきっかけは花より男子でした。

ドラマで見た道明寺司が歌番組で歌っている。それが何故だかわからず、アーティスト名を見たら「嵐」と書いてあった。

これが初めてです。

 

嵐って何?と思い、嵐の宿題くんを初めて見ました。その時、面白い!とはまりました。

その時から私は櫻井翔が好きでした。

その当時は翔さんがリーダーと思っていたので、初めて大野さんをリーダーと呼ぶシーンで始めてリーダーが大野さんと知りました。

私は嵐を好きになった時から櫻井担でした。13年間、ずっとです。

 

知ってみてわかったのは、嵐はなんて仲がいいのか、というのと、嵐はとても魅力的なグループだという事でした。

そこからはまり、嵐の番組は必ず見ていました。

私は何かと習い事の多かった人間だったりしたので、見れない時は録画して見ていました。

 

私が初めて買ったCDは「5×10」でした。CDを聞くためにオーディオを買ってもらいました。(今使っているのは2代目です)

初めて買ったDVDも嵐。嵐にはまって初めての誕生日プレゼントは景色コンでした。

 

いつしか、親以外での私の憧れの人に翔さんはなっていました。

私はコミュ障で、人に話しかけるのが苦手でした。

私は翔さんの様に誰とも仲良くなれて、礼儀正しい人になりたかったのです。

(今でもコミュ障は治らないですが)

 

学生時代はずっと嵐一筋でした。大学になってお笑いという新ジャンルにもはまりましたが、それでもずっと嵐が好きでしたし、私の行動の中心に間違いなくいたと断言できます。

大学生になって、自由にお金を使える様になってすぐした事は嵐の持っていない曲を買い揃える事でした。

DVDもゆっくりですが揃えています。

 

社会人になってようやくライブやグッズに手を出せる様になりました。

私の中で嵐の存在は大きかったですが、私は好きな物に妙に奥手になる性格で、

嵐が好きだからファンクラブに自分なんかが、と思って入れなかったのです。

(結局入らずじまいでした。やはり、近くなりすぎると何をすればいいかわからなくなるのです。もしファンクラブに入っても、何をすればいいかわからないし、一方的な供給に耐えられそうになかったのです)

グッズやアラフェスも、最後という後押しがあって初めて買えました。

私は行動力の前に、好きな物への直接的行動に酷く意気地なしなのです。

 

だから遠巻きに見守れていればいいというスタンスです。

それは今も変わらず、嵐が幸せでいてくれたらそれでいいと思います。

それに私は関わり過ぎないでいいのです。

配信ライブだったから私も見れたんだと思います。

これが配信でなければやっぱり参戦しなかったと思います。

私は所詮意気地なしですからね。

ライブに行っても体調不良で楽しめないのは自明ですし。

 

配信ライブを見て、私はこの嵐を好きになってよかったと思います。

そして同時に、実感がわかないな、と。

嵐はやっぱり私の中に存在しているのです。

曲として。映像として。

事実これを書いている今もあまり実感はありません。

ライブのしょっぱな、「ワイルド・アット・ハート」を聞いてボロ泣きしたくせに。

「感謝感激雨嵐」で泣いたくせに。

沢山のあのコメントの雨を見て泣いたくせに。

何故でしょうね。

 

これから嵐の5人はどこかで名乗る度に「嵐の」というのでしょう。

この先の生活の中でも、嵐を直接見ずとも家には嵐があり、嵐を聞くのです。

生活の一部として存在しているし、メンバーは他のメンバーの話をどこかでするのでしょう。そして私はそれをどこかで耳にするのでしょう。

 

元々供給がない事には慣れているので、大丈夫なのかもしれません。

きっと、実感が湧くのに時間がかかるだけなのです。

休止発表の時だって、実感したのはだいぶ先でしたし。

 

私は絶対に戻ってきてくれると思っています。

私の信条は「希望するな、絶望するから。期待して絶望するくらいなら最初から希望するな」です。

酷くマイナスです。

でも、どこかで嵐は絶対戻ってくると思っています。それが当然かの如く。

 

私はこの休止は、ピットストップなのだと思います。

(スポーツが良くわからないので唯一ちゃんとわかるF1で例えますね)

嵐は、そのマシンに5人というエンジンを搭載して、芸能界というサーキットを走ってきました。21年も。

この休止は、ピットに戻り、タイヤやらノーズやら、ボロボロになった部分を交換したりする時間なのだと思います。

勿論5人というエンジンは交換しません。5人のまま。そのエンジンでまた芸能界というサーキットを走るために嵐というマシンをメンテナンスしているんです。

本当のF1ならストップは物凄い短い時間です。

ただ、このストップの時間がわからないだけ。

マシンが壊れない限り、エンジンが動く限り、マシンは必ずサーキットに戻り再びレースを繰り広げる。

嵐もまた、メンテナンスが終われば戻ってきて、最高のエンターテインメントを繰り広げてくれるのでしょう。

私はそう思っています。

今は、そうですね、頭が現実逃避しているのかもしれませんが。

 

上手く言葉にできませんがそういう事です。

私は、戻ってくるという未来を信じています。

 

最後に。

 

翔さん。

貴方を神自担として追いかけてきてよかったです。

「嵐に似たなにか」ではなく「嵐」と言えるまで、待ってます。

 

大野さん。

ここまで嵐を引っ張ってくれてありがとう。ゆっくり休んでください。

嵐を守ってくれて、だなんて。むしろ守ってくれてたのは貴方です。ありがとう。キャンプとかして自分のために生きてみてください。

 

ニノさん。

「欲深い」だなんて。もっと欲深くていいんです。それでもってみんなでやってやろう!と熱くなれるのがいいんです。「嵐をもう目標にできない」だなんて。出来ますよ。嵐はこれからも偉大なグループです。

 

相葉ちゃん。

「トップになろうね」という夢。私は叶っていると思うし、これからもそうだと思っています。貴方だって、立派にトップだよ。だって、こんなにも皆に愛されているんだから。

 

松潤

満足をまだしていない事もある、と言っていたけど、きっとそれもいい思いでとして貴方の心の中にいてくれるのでしょう。これからも嵐の音楽を、嵐を愛します。だから戻ってきた一発目のライブ、演出期待してます。

 

嵐。

私にとって貴方は大きな存在です。生きてみようと思わせてくれて、楽しい思い出を沢山くれて、ありがとう。

私の心の闇には、いつもどこかで5つの星が光っています。

青い星。赤い星。緑の星。黄色い星。紫の星。

ずっと光っていてくれています。今も。

21年間この世界に存在していたという証も、嵐という存在も離しません。あなた方が「もういい」と言っても。言う訳がないけれども。

 

嵐が存在する世界に生きて、よかった。

嵐を好きになって、よかった。

 

別れた五叉路が伸びていく間も、その合流地点に到達する時も、そして合流して太い一本道を歩いてくれるその先も。

ずっと、一生、愛しています。

 

愛しています。

 

2021/1/2 二葉翔。

親愛なる嵐様。